概要 三か月後に結婚を控えている麻音子。端から見れば幸せそうに見える彼女だが、過去に婚約破棄されたことがある。婚約を一方的に破棄された直後、父親から勧められた見合いで顔を合わせたのが現在の婚約者・龍之介だった。トントン拍子に婚約が決まったけれど、麻音子は龍之介から向けられる愛情を同情だと思い込んでいた。それは龍之介が婚約破棄された過去を知っているからで、麻音子は龍之介の優しさに触れるたび思い悩む。優しくしたい相手に優しくしているだけなのに、気づけばつらくなっていた。そんな過去がある二人の結婚するまでのお話。《後日談》恋は互いを見つめ合い、愛は同じ方向を見ること(Web未公開)を収録
本文
《第一章》私が抱えていたもの
婚約者の車で出勤し、事務所に入った途端すぐに同僚から声を掛けられた。
彼女は嶋(しま) みずき。同年の同僚だ。みずきはひっ詰めた髪が乱れぬよう手で押さえながら走り寄ってくる。
「おはよ、麻音子。今日も旦那さまの家から?」
彼女は、走ってきたせいでずれた眼鏡を直しながら話しかけてきた。
「旦那さまじゃないわよ。まだ」
「でも、結婚式まであと三か月じゃない」
「まだ三か月もあるわ」
制服に着替えようとしてフロアの奥にあるロッカー室へ向かいながら話していると、みずきが急に黙り込んだ。それが気になり隣に目をやると、彼女はにやにやとしている。
「はいはい、ごちそう様」
そう言ったあと、彼女の表情がわずかに曇った。
「どうなるかと思っていたけれど、うまくいってるようで安心した」
「え?」
「だって、お付き合いをし始めたあたり、麻音子、ずっと暗い顔をしていたから」
みずきからそう言われたとき、心臓をぎゅっと鷲掴みにされたような痛みを感じた。
だけど、それを隣にいる彼女に気取られないように無理して笑顔を作って見せると、彼女はほっとした顔をした。
三年にわたる婚約が破棄になった直後、父から紹介された彼と出会って、もう一年が過ぎようとしている。
彼はとても優しい。それに、いつも気遣ってくれる。そんな彼に不満なんてないし、むしろ彼と会うためにあの婚約破棄があったんじゃないかとさえ思ってしまう。
だけど同時に不安を抱いているのも事実だった。優しくされればされるほど、不安はどんどん膨れ上がり、やがて息苦しささえ感じ始めるのだ。
不安になる理由を思い返していると、みずきが呆れたような声で話しかけてきた。
「朝から幸せいっぱいのあんたを見たら、悔しいったらないわ。今度こそ合コンでいい男とっつかまえてやる!」
そう言って、彼女はガッツポーズをとっていた。