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「東映」の書籍一覧(最新発売日情報)

全12件 (2013/05/02 ~ 2018/06/27)
 東映株式会社(とうえい)は、日本の映画の製作、配給、興行会社。2013年現在、直営の映画館2館、2つの撮影所(東映東京撮影所と東映京都撮影所)を保有。テレビ朝日ホールディングスの大株主で、同時にテレビ朝日ホールディングスが東映の筆頭株主になっている。
 
 劇場用映画の制作、配給、興行を行うほか、洋画の買い付けと配給、テレビ番組の制作、広報映画の制作や教育映画の制作販売を行う総合映像企業。子会社を通じ劇場用アニメーション、テレビ用アニメーションほか各種アニメーションの制作、テレビコマーシャルなど各種コマーシャルフィルムの制作、オリジナルビデオやカラオケビデオの制作販売も行う。また、現像所も持っている。

 同業他社に比べて映像部門が多岐にわたる一方で、子会社を通じた事業多角化は古くから行い、かつてはプロ野球やボウリング、交通事業等を手掛け、現在もホテルやゴルフ場、不動産開発事業を行っている。また京都撮影所の一部をテーマパーク化した「東映太秦映画村」なる観光事業も行っている。
 
 東京都・大泉町 (練馬区)の旧新興キネマ東京撮影所を買収して貸スタジオ経営を始め、やがて映画製作に進出した''太泉映画''(1947年10月15日設立)と、1938年(昭和13年)東京横浜電鉄(のちの東京急行電鉄)の興行子会社として東急東横線の沿線開発を目的に設立され、東京の渋谷や横浜市で映画館を経営していたが、戦後大映より京都第2撮影所(旧新興キネマ京都撮影所)を賃借して映画製作に進出した''東横映画''(1938年6月8日設立)、双方で製作された作品配給のために1949年(昭和24年)10月1日設立された''東京映画配給''が、制作会社2社を吸収合併。1951年(昭和26年)4月1日、社名を''東映株式会社''と改めて再出発した。東横映画を吸収した事からもわかるように、設立の背景には東京急行電鉄が大きく関与している。阪急電鉄創業者の小林一三が東宝を作ったように、五島慶太は東映を作った。東横映画の社長だった黒川渉三が街の高利貸しから資金を調達して映画製作を続け、黒川の後を継いだ者も黒字と赤字を増やし、設立当時の東映の負債は、当時の金額で11億円にのぼり、五島慶太は五島家の資産を担保に住友銀行から融資を受けた。東横映画には、マキノ光雄と根岸寛一を中心に、大陸から引き上げた満州映画協会OBが製作スタッフとして参加しており、そのまま東映に移行した彼らは松竹、東宝、大映に継ぐ後発映画会社である「第四系統」として誕生した会社を担うことになる。引揚者#満州、朝鮮北部の救済は社是にも掲げられ、彼らはスタジオの裏に板張りの家を建てて棲みつき、炊き出しをしてノミやダニと共に寝食を共にしたり、山陰本線の脇に撮影所の廃材でバラックを造って生活する者もいた。
 上記のように企業としては戦後派であるが、東西撮影所は撮影所は坂妻プロ→帝キネ(以上は京都のみ)→新興→大映第二という流れを引き継いでおり、徹底して大衆娯楽路線を重視する姿勢も帝キネや新興の気風を受け継いでいる。岡田茂 (東映)は「東映設立から4、5年の頑張りが、今の東映の骨格を作り上げたと言っていい」と述べている。
 1950年代に入ると、戦前から活躍する時代劇スターの片岡千恵蔵・市川右太衛門・月形龍之介・大友柳太朗らを擁し、さらに東映娯楽版によって若者に人気を得た萬屋錦之介・東千代之介がデビュー。東映と松竹、東宝、大映、新東宝、日活6社による戦後#第二次世界大戦後の激しい競争の中、1952年(昭和27年)初頭には「年間50本を製作し毎週新作1本を配給(全プロ配給)」を宣言し「製作-配給-興行」の垂直統合とブロックブッキング制を最初に敷き、撮影所システムと呼ばれる量産体制を確立した。その後大川橋蔵 (2代目)や市川の息子・北大路欣也が子役で加わり、東映時代劇ブームを巻き起こして、1956年(昭和31年)には松竹を抜いて配給収入でトップとなり黄金時代を築いた。しかし、明朗な勧善懲悪の東映時代劇は1960年代に入ると行き詰まり、末期にリアリズムの集団時代劇を生み出すものの終焉。映画不況が始まった1960年代に入ると時代劇は客が入らなくなり、コストダウンのため1963〜64年にかけて、東映京都撮影所の大リストラを敢行し、東映テレビ・プロダクション、東映動画へ大半の従業員が配転される。また取締役俳優である片岡と市川は取締役の地位は留任するもの専属契約が切られ、市川は映画から引退。演出料が非常に高い渡辺邦男・松田定次・佐々木康などの時代劇の監督も東映を退社して行った。
 現代劇は1950年代半ばから1960年代前半にかけて、中原ひとみ・高倉健・水木襄・佐久間良子・梅宮辰夫・千葉真一ら主演スターを東映ニューフェイスから輩出。1957年(昭和32年)には東映東京撮影所の隣に動画専用スタジオを建設し、前年に日動映画を合併して設立した東映アニメーションを移転させた。1958年(昭和33年)には競合会社よりもいち早くテレビ映画の製作に着手。同年に大泉に東映テレビ・プロダクションとその撮影所を設ける。観客動員No.1となった東映は1960年(昭和35年)に第二東映を設立し、制作本数を倍増して日本映画界の売上50%のシェアを目指した。同年に第二東映が新東宝を吸収合併し、時代劇を新東宝が現代劇を第二東映が制作する新会社の新東映の設立が仮調印直前まで進むも頓挫。翌1961年に第二東映はニュー東映と改称するが、うまくいかずに2年で解散した。
 1963年(昭和38年)『人生劇場 飛車角』のヒットからは時代劇に代わり、明治期から昭和初期を舞台に置き換え、勧善懲悪の世界を描いた時代劇の変種でもあるヤクザ映画#東映を東西両撮影所で量産し、 鶴田浩二・高倉健・富司純子、若山富三郎らを主演に立て隆盛を迎え、1960年代は映画興行では他社を圧倒した。1973年の『仁義なき戦い』でヤクザ映画を実録シリーズに切り替える。格闘映画では千葉真一と志穂美悦子の作品がブレイクし、千葉の格闘映画は海外でも大ヒットした。プログラムピクチャーとしてのヤクザ映画路線は1977年に終了した。正統的教養主義と闘うカウンターカルチャーが世界中で沸騰した1970年前後、日本の娯楽映画の拠点は東映にあった。1975年(昭和50年)に新たなジャンルであるパニック映画『新幹線大爆破』を公開したが、日本ではヒットしなかったものの、海外では大ヒットした。同年の『トラック野郎』は『新幹線大爆破』よりヒットしたため、シリーズ化された。
 この間、1954年(昭和29年)にはプロ野球の東急フライヤーズの運営を東京急行電鉄から受託し、東映フライヤーズ(現在の北海道日本ハムファイターズ)とした。また、1959年(昭和34年)開局の日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)に資本参加し同局番組の有力な供給源となるなど、来るべきテレビ時代に先手を打った。ところが、1964年(昭和39年)9月30日には資本面で東急から分離独立する。この背景には嫌々ながら東映の社長に派遣され、多重債務を抱え自転車操業で倒産寸前だった同社の再建を成功させた大川博と、東急本体を引き継ぎ東急グループの基本を沿線開発に据えた五島昇との間に確執があったと言われている。また、石坂泰三が彼に「東急に女を売り物にする商売はいらない」と言ったと言われている。東映フライヤーズは引き続き共有の形を採った。ただし、2014年現在も東京急行電鉄は第5位株主であり、また関係会社ではある。
 1966年(昭和41年)、日本教育テレビ持株の半数を朝日新聞社へ譲渡し、成績不振と黒い霧事件 (日本プロ野球)の余波で観客数が伸び悩んでいた東映フライヤーズを東急と共に1972年(昭和47年)オフに日拓ホームに売却。また1960年代後半の多角経営を支えたボウリング事業は1976年2月に完全撤退した。その一方で、ゴルフ場、シティホテル建設や不動産分譲、撮影所余剰地の複合施設開発(ショッピングセンターなど)など新規事業を開拓して事業の再構築を行った。1960年代半ばから映画の斜陽化が顕著になると、ヤクザ映画で観客動員を保つ一方で、岡田茂 (東映)(1971年社長)は、テレビに取り込まれない客層を狙い実録シリーズやエログロもの(東映ポルノ)を量産した。岡田は「路線は少しづつ変わってもいいが、野性味を失ったら、東映という会社はダメになってしまうんだ」と述べていた。 
 映画部門が斜陽となってからは、東映アニメーション、東映テレビ・プロダクション、東映ビデオ、不動産部門などが、映画製作を支えて行く。1988年4月~1999年3月期決算で映画会社単独として初の年間売上げ1000億円を達成した。1990年代は渋谷を始め、船橋、福岡、仙台、広島など、全国の劇場再開発を手掛けた。1972年に洋画配給部門を新設し、洋ピンと呼ばれる欧米のポルノ映画を配給したのを手始めに、1975年の『ドラゴンへの道』や1979年の『ドランクモンキー 酔拳』などブルース・リーやジャッキー・チェンといった香港映画を中心に配給。東映洋画部ではその他にも1977年から『宇宙戦艦ヤマト』シリーズなどアニメ映画を配給して、邦画部門の不振を補ったほか、劇場用映画以外にテレビ映画の制作にも積極的に取り組んだ。時代劇が斜陽になったことから1975年(昭和50年)に京都撮影所のオープンセットの維持を画して、一部を東映太秦映画村とした。
 多くの映像作家を生み出した『ぴあフィルムフェスティバル』(PFF)は、1977年12月に東映東京撮影所で開催された『第一回ぴあ展』を起源としている。 
 1978年正月公開の『柳生一族の陰謀』から従来の量産体制による2本立て興行に代わって、大作映画1本立て長期興行路線が定着。それとともに、子会社に東映セントラルフィルムを設立して同年に『最も危険な遊戯』を第1作として公開。1988年に解散するまで本社の大作路線を補完する中小規模予算のプログラムピクチャーの製作会社として、あるいは外注したピンク映画の配給会社として活動した。1970年代後半から映画プロデューサーとして角川春樹と提携し、『悪魔が来りて笛を吹く#1979年版』、『白昼の死角#映画』、『魔界転生』 を手始めに、角川映画を数多く配給し始める。1980年代に入ると提携作品や小屋(映画館)を貸すだけの買い取り作品などが増え、純然たる東映作品、純然たる東映育ちのスタッフ、キャストが作る作品が減った。
 東宝は1943年の東宝争議の終結以来、ほぼ一貫して、左翼的な政治性を嫌い、エロチシズムを嫌い、暴力を嫌う『健全娯楽』路線を守ってきた。東映が暴力を鮮やかに映画的な魅力に結晶させた時期に、東宝はずっと作品的にも興行的にも東映の後塵を拝していた。東映の路線に乱れが生じ、行き詰ったとき東映は『健全娯楽』の東宝に抜かれることになる。
 1960年代から始めていた東映まんがまつりは子供向け映画として定期興行をしていたが、1996年(平成8年)からは凋落していった。洋画配給についても1987年の『七福星』をもって中止となった。1980年代は角川映画のおかげで東宝と互角の勝負が出来ていたが、1990年代に入ると、アニメ映画とシリーズものが全盛期が過ぎたこと、『公園通りの猫たち』に代表される企画製作能力の機能不全、ヤクザ路線の行き詰まり、自社のブロックブッキングの強化が遅れ、東宝と拮抗していた興行成績が引き離されていった。岡田茂がプロデューサー出身であることから、自社制作にこだわってきた東映と差が付いた。東宝は1968年から1972年まで製作配給で毎年7億円の赤字を出していたが、1970年代に入り製作機能を三つの別会社に分離し1972年に本社での映画製作を停止させ、五核を相互に連携させる製作体制に切り替えた。1970年代後半から、東宝はリスクの高い制作への投資を削って劇場整備に力を注ぐ手法を取り、映画業界では当時「映画会社でなく不動産業者のやり方」などと風当たりは強かったが、自社制作にこだわってきた東映と差が開いていった。岡田茂は1998年6月2日の『日本経済新聞』で「二十年たって振り返ると東宝のやり方は正しかったのかもしれない」と述べた。
 1989年(平成元年)からは東映Vシネマというオリジナルビデオをリリースすることで映画の制作数を補うなど、スクリーン以外での映像展開を積極的に進めて対応を図っている。
 2011年9月の『アジョシ』から、国際営業部が新レーベル「TOEI TRY△NGLE」(東映トライアングル)で約30年ぶりに日本国外映画の買い付けと配給を再開した。
引用元:Wikipedia 2019/08/03
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東映/監修 石ノ森章太郎/原著 高橋悠也/著
出版日 : 2018/06/27
出版社 : 講談社
ISBN : 9784065121955
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東映/監修 石ノ森章太郎/原著 高橋悠也/著
出版日 : 2018/06/27
出版社 : 講談社
ISBN : 9784063148831
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東映/監修 石ノ森章太郎/原著 福田卓郎/著
出版日 : 2017/11/19
出版社 : 講談社
ISBN : 9784063148800

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東映アニメーション/著 primaryinc.,/著 小渕早紀/著
出版日 : 2016/10/31
出版社 : 講談社
ISBN : 9784063446609

奇跡のプリキュア、”キュアモフルン”誕生! 友情と奇跡の物語!
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東映/監修 大森敬仁/著 長谷川圭一/監修 石ノ森章太郎/原著
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出版社 : 講談社
ISBN : 9784063148763

ロイミュードとの壮絶な戦いのそのあと、仮面ライダーマッハが遭遇するドラマとは!
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東映/監修 鋼屋ジン/著 砂阿久雁/著 石ノ森章太郎/原著 虚淵玄/監修
出版日 : 2016/03/24
出版社 : 講談社
ISBN : 9784063148756

仮面ライダー鎧武に新たなストーリーが! 新作オリジナル完全小説化!
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東映アニメーション/イラスト 尾田栄一郎/原著 浜崎達也/著
出版日 : 2014/11/05
出版社 : 集英社
ISBN : 9784083212383

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東映アニメーション/イラスト 尾田栄一郎/原著 浜崎達也/著
出版日 : 2014/07/04
出版社 : 集英社
ISBN : 9784083212185

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出版社 : 集英社
ISBN : 9784083211904

コミックもアニメも大人気の『トリコ』のノベライズ第7弾! 美食屋トリコと小松が、伝説の果実「シャボンフルーツ」をもとめて出発! 「食林寺」という食への礼儀を学ぶお寺で修業をすることに……!?
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東映アニメーション/イラスト 尾田栄一郎/原著 浜崎達也/著
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出版社 : 集英社
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甘い言葉に誘われて、リゾート気分を満喫しようとオマツリ島へやってきたルフィたち。そこで彼らを待ち受けていたのは、海賊団の結束を壊そうとたくらむ、オマツリ男爵の恐ろしい陰謀だった!!
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東映アニメーション/イラスト 尾田栄一郎/原著 浜崎達也/著
出版日 : 2013/08/05
出版社 : 集英社
ISBN : 9784083211652

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東映アニメーション/イラスト 島袋光年/原著 村山功/著
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出版社 : 集英社
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ホテルグルメの料理長・小松は、美食屋トリコとともに伝説のコーラ「メロウコーラ」を探す旅に出発。今回の旅には、美食四天王のひとり・ゼブラも同行。しかし、そのゼブラがとんでもなく怖ろしい人で…。

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